オリジナル小説 「アマツモリ鬼神伝」 連載中です。週一回の更新を予定しています。
アマツモリ看板


「この世のあらゆる存在は、心(シン)・魂(コン)・魄(ハク)の三要素から成り立っている。

ハクは、かたち。
人の心でとらえうるもの。ハクがあってはじめて、人はそれが「在る」と気付く。

コンはいのち。
ハクに進入して動きをあたえ、生成流転をうながすもの。コンを得てはじめて、ハクは人に作用する。

そしてシン。

コン・ハクの行くすえ、来し方を決めるもの。
コンパクにもし――――意味があるというのなら・・・それがたぶん、シン。

ゆえに、シン無きコンパクは、迷う。

神代より、さ迷う魂魄のシンを起し、あるべき場所に帰すものたちのことを「キシン」と呼んだ。」




アマツモリ鬼神伝 目次

第一部 「蘭手護法(らんしゅごほう)」篇

プロローグ 「柿と虎」 

雷花 (1) (2) (3)
蛙王 (1) (2) (3)11/6UP!

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         蛙王(3)


きっとそいつは・・・ずっとあたしのそばにいたのだ。

いた――――「はず」だ。



両者をへだてていた頼りないヴェールが、いま、とけおちてしまった。






視界の戻った橋の上にヘドロの蝗はあとかたもない。

橋はいま、窒息している。 ビニールのような蛍光色の苔で、びっしりとおおわれている。




あたしは両手で口を押さえた姿勢のまま、ぎらぎらと赤黒く反射する川を凝視していた。

川は桃色をしたゼラチン質のでたらめなものに変じてしまっている。



その表面を、灰白色の巨大な臓器――――とりだされ、なげすてられた脳みそのようなものが――――震えながら這っていた。



蟲――――。



そう、それは蟲の塊に似ていた。


空が傾き、遠近感がねじれ狂った川面いっぱいに、ぶよぶよとした無数の蟲がうごめいている。

半透明の白濁した蟲たちはブルブルと伸び縮みしながらからみあい、喰いあい、ねじれもつれて一つのまるい小山をかたちづくっていた。


小山が呼吸をするように収縮を繰り返すたび、ぽろぽろと蟲がこぼれる。

蟲はゼリーの上でひくひくと反りかえり、もがきながら桃色の水中にゆっくりと沈んで・・・蛭のようにひらひらと舞う。


無数の蟲をまといつかせ、ゼリーの海をゆっくりと蛇行する水中の巨大な丸い翳り。

蛭たちは、翳りが近づくと驚くほどのすばやさでさっと吸い付いてゆく。


 蟲じゃない・・・。 


あたしは総毛だった。

蟲に見えるあれは、独立して動くおびただしい触手の群れなのだ。


触手の衣をまとって――――あそこに、「本体」がいる・・・!



山は、ゼリーをひきずるようにして緩慢に波うち、橋の方へとにじり寄ってきた。

近づくにつれ、ぷちぷちと泡がはじけるような音が聞こえ始める。


触手は、そろって一方向に流れたかとおもうと渦をまき、もつれ波打って、くしゃくしゃと奇怪な皺を折り刻む。


一匹の触手が、ぷしゅっと体液を飛び散らせて押しつぶされた。

たちまちその周囲が窪んで、屍骸を内部にとりこんでしまう。

間をおかずめりめりと、ねばつく糸をひいて、あらたな一匹が生えあらわれる。



ぷしゅっ。めりめり。

ぶちゅっ。めりめり。



山の全身のいたるところで、不気味な食物連鎖がくりかえされている。



あたしは歯をガチガチいわせながら後ずさりしようとしたが、足がすくんで動けなかった。


どうしようもなく体が震える。

・・・原初から、意識の奥底に刷り込まれている根源的な恐怖。



そう、あたしはこいつを知っている。

思い出さないようにしていたけれど――こいつを以前にも・・・見たことが・・・ある。



ぐちゃぐちゃとした蠕動をくりかえしながら、蟲の小山は橋にむかってせりあがり、姿形をたもてず潰れひろがった。


持ち上がろうとしては溶けくずれ、ふるふるとへしゃげる。

白濁した蛆をはねあげ、ぼとぼとと水面にこぼす。


 登って来れなければいい――――


そう願うタイミングを見計らったかのように。



ぶわっ!




山は突然、倍以上の大きさに膨れ上がった。

紙袋に息を吹き込むような唐突な動きに、あたしはふたたび悲鳴をあげる。


ぱんぱんに腫れあがった小山は、蟲を滝のように流しながら橋にのしかかってきた。

ずーんと音を立てて、橋が無気味に振動する。 あたしはつるつる滑る苔の上で膝をつき、そのまま頭を抱えて丸くなるしかなかった。



じゅるっ・・・



汁気にみちた蟲の塊は、てっぺんからさらにひとまわり小さな山を橋の上にひり出す。

小山はぬるぬると旋回し、のたうつ触手がすえた粘液をあたりに撒き散らした。


巨大な蛆が何匹かころげ落ち、橋の上でぴくぴくと引き攣る。 どさっと目前に投げ落とされた一匹に、あたしは金切り声をあげ、這いずって逃げた。


立てない。走れない。サイレンのように悲鳴を上げ続ける自分を、どうしても止められない。


あたしは逃げながら、半透明の硬い殻に覆われた蛆の頭部から、黒くて長い、蜂の針のようなものが出たり入ったりしているのを見た。

蛆は、針の出し入れのたびに青黒く変色してゆき――――



前ぶれもなく、破裂した。



ぼん、とひろがる猛烈な腐臭。 いや、腐臭などというレベルではない。

肌を刺すガスの激しい痛みに、あたしは息を詰まらせて咳き込み、顔をかきむしった。



ぶるんっ!



小山の腹がふるえてしぼみ、触手のかたまりはなだれをうって川へと倒れこむ。

橋の上に悪臭をはなつ粘液をひき、滑り落ちながらも、今度は崩れなかった。


いまやヒョウタン型に変形した触手の山は、すぐ目の前でぶよぶよと揺れていた。

その先端をすかして、何か赤黒いものが生えでようとしている。



めりめりめりめり・・・ぶちちち・・・・・・



触手のカーテンを千切りわけ、薄い皮をきんきんに張った真っ赤な鼻が、そそり出る。



 「うああああああーーーーーーっ!!」



いよいよ近づいてきた「その時」に、あたしは絶叫し、壊れた人形のようにがくがくと四肢を震わせた。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!逃げたい、でも逃げられない・・・逃げられない逃げられない・・・逃げられないんだ・・・!


あたり一面に充満する硫黄の臭気。

足がかりを失い、ぼとぼと水面に落下する蛆の雨音。 そして――――



スンスン・・・

 スンスン・・・




嗅いでいる。


てらてら光る、赤黒い鼻が捜している。



スンスン・・・



獲物を、嗅ぎつけている。



スンスン・・・

 スンスン・・・




そう、あたしは知っていた。


アマツモリからの訪問者。



こいつは・・・・・・好んで女の血を吸うのだ。

一度あじわった美味を、こいつは決して忘れない。


逃げることも意識を失うこともできず、あたしは眼を張り裂けんばかりに見開いて、そいつがゆっくりと這いよってくるのを見つめていた。



どろっと触手の束が溶けくずれ、丸い大きな、三つの魚の眼玉があらわれる。


ぎょとっと音を立てて――あたしを凝視する。


でたらめに動いていた触手がいっせいに空をむき、針をとびださせた。


・・・その瞬間、あたしの体は金縛りになり、まばたきひとつできなくなった。

見えない手があたしのあごをとらえ、無理やり首をねじまげはじめる。


じわじわと水面を見下ろさせる。

いやだ・・・いやだ、いやだ・・・みたくない・・・・・・!



桃色ゼリーの向こうに、どす黒い翳がせりあがってくるのが透かし見えた。




もうすぐだ。




あそこから、蟹のハサミがあらわれて――――――








 「・・・らいか」








あたしはどっとくずれおち、膝小僧をしたたかに、冷たい橋に打ちつけた。


確かな手ごたえ。


橋の欄干にかけたままの指先が、氷のように冷たくなっていた。



 「らいか」



さまざまな感覚は、遅れてやってきた。



冷たい川の風と、それに混じるかすかな排気ガスのえぐみ。

橋を伝わってくる電車の響き。川面に反射する色とりどりな原色のネオン――――。



歯を激しく打ち鳴らしながら、あたしはのろのろと、声の主をふりむいた。 ・・・寒い。




数メートルほど先、すっかり人通りの絶えた橋のたもとに、幼い少女が立っている。


少女は、11月の寒空には不釣合いな白い素足に、木のぽっくりをはいていた。

紺がすりのあわせをまとった細いからだの上に、不恰好なほど大きいおかっぱ頭が乗っている。


おなじみのその姿に、あたしはまだ体をふるわせながら、ようやく言った。



 「・・・雛子」

 「ン。・・・らいか、どうした?」


 「――――なんでもないよ」



あたしは、欄干にすがり付くようにして立ち上がった。

緊張の解けきれないこわばった筋肉が、体じゅうで悲鳴をあげている。



 「ン」



小鬼はそんなあたしの様子を、手を貸すでもなく眺めていた。


眉も鼻もない、のっぺりした白い顔に、草で裂いたような大きな口。同じく裂けたようなまぶたの下から、金色の丸い目玉がのぞいている。

からんころん・・・ぽっくりをひきずりながら雛子があたしのそばにきた。



 「すいたい先生のおつかいで、きたよ」


 「水台先生の――――?」

 「ン」



ああ、そうだった。


あたしから雛子かきび太を、先生への連絡に出すはずだったのが・・・できなかったんだ。



 「――先生は、なんて?」

 「えっとね、『いそがしいようだから、きょうはかえる』って、いってた」


 「・・・そっか」



あたしは震えながら腕時計を見る。

時刻は・・・17時27分。するとこの場所は3分間ほど、アマツモリに喰われていたわけか。



 「あとはね――――えっと、えっとーーーー・・・・」



小鬼は顔をしかめ、なにかを一生懸命、おもいだそうとしていた。



 「――らんしゅごほう


 「・・・えっ?」

 「『らんしゅごほう』だって」

 「??」


らん・・・何? と、あたしは雛子をのぞきこんだ。 

ン、と雛子が無表情に見つめ返す。



 「ひなこね、先生に、らいかが剣をおられたって話、したのね」


あたしの心は、ぱっと明るくなった。上出来だ、雛子! あたしはまさに、そのことを先生に聞きたかったのだ。


 「・・・そ、それで?」

 「だから――『らんしゅごほう』だって」


やっぱり、雛子か・・・がっくりするあたしに構わず、小鬼は一気にしゃべりはじめた。


 「先生がね、くわしく話せといったから、ひなこ、きびちゃんが見てたからきびちゃんに聞いてって、いったのね。そしたら先生が、知っているところだけでいいっていったから、ひなこ、知っているところだけはなしたのね。そしたら先生かんがえてたの。・・・こうやってね」


雛子はしかめ面をして腕組みすると、うーんと唸ってみせた。


 「それで・・?」


たいして期待もせず、あたしは雛子をうながした。

しっかしよく似てら。あはは。


小鬼のその仕草はあたしになにか、暖かいものを吹き込んでくれる。



雛子は一瞬、ぼやっとした顔になったが、ようやく話の本筋を思い出したらしくこう言った。



 「・・・それはたぶん『らんしゅごほう』だろう、って。 キシンの技だって、いってた



雛子のセリフの後半が、まるで雷が轟いたかのように聞こえた。



 「・・・キシンの?」

 「ン」


キシンの技なのか。あれは。


それをどうして首無し騎士が?



じゃ、もしかするとあいつは・・・アマツモリから来た存在では――――ない?



あたしの中に、ある考えがまとまりかけたが、雛子が邪魔をした。


 「もう、かえっていい?」


 「あ、うん。 いいよ。――――ありがとね、雛子」


 いろんな意味で。 


それに、もうこれ以上は雛子に聞いても無駄だろう。


 「ン。またね、らいか」

 「またね」


あたしは小さく手を振りかえす。


ばいばい・・・ぽっくりを引きずって橋のたもとに戻った小鬼は、ひょいと闇に「またぎ入って」、姿を消した。



雛子を見送ったあたしは猛然と踵を返して、きた道を駆け戻りはじめる。

大至急、ヤスノリに会わなければならない。


さっき見たアマツモリの光景(ビジョン)。 それに、「らんしゅごほう」。



 ――――「かえるの王子」の後半部分だ!



走りながら、あたしはくりかえしそうつぶやいていた。


あたしたちは、それにひょっとして箕面庄蔵も、根本的な部分をとり違えているのではないのか。


それは、キシンとしてのあたしの勘だった。



橋を渡り終え、角の薬局と商店街のアーケードを結ぶ横断歩道を飛ぶように駆けぬけて、あたしは丸安の店先に飛び込んだ。



 「・・・あっあっ、小津乃さん??」


店のシャッターをおろしかけていたミカさんが、びっくりしたように上ずった声をあげる。


照明が落とされた店内に、あたしは歯ぎしりする思いだった。


定時退社。 こんなときにあのバカ、もういないかも・・・!


かっとなったあたしは階段を駆け上がりかけ、反転してもどるとミカさんに問いただす。



 「・・・ヤスノリは?!」

 「や、やすのり? あ、ああ――社長ならもう、帰りましたけど・・・」


あたしは思わずミカさんの顔を見返した。わずかに目を泳がせたミカさんの中で、何かが小さくしぼむ手ごたえ。 

うっかり名前を口走った自分に気づく――――ああ、やっちゃった!


 「あ、あー・・・そうだったんですか。 じゃ、いいです。 ええと、何でもなかったんです。そのう・・・ちょっと、仕事のことで」


うろたえて、言わなくてもいいことまで言う。


ああ、はい――ミカさんは目をぱちくりさせた。


 「いそぎの用でしたらウチの電話を・・・あ、でも社長、まだ帰り着いていないですね。きっと・・・」


 「ですね。ホントいいんです。たいした話じゃなかったッスから・・・」


本当に、どうでも良くなっていた。


あたしの中の狂おしい焦燥感が、きれいさっぱり抜け落ちていた。

まるで憑き物でも落ちたかのように。



本当に、きれいさっぱり。



おじゃましましたー、面食らって突っ立っているミカさんをその場に残し、あたしはふたたび駆けもどる。

センサーはもう切られているらしく、呼び出し音は鳴らなかった。


 「あれェ、雷花さん?」


呼びかけたのは、いまもどったとこらしいオオシタさんか。

すれ違う黒い人影に軽く会釈してかけ抜ける。





幡多川の水面はいまはもう完全に――――でもとても健全に――真っ暗だった。


ついすくみそうになる脚を叱咤し、息を切らして早足に歩き続ける。


あたしは、自分に猛烈に腹を立てていた。

本当に・・・あたしというヤツは!


あんなに――馬鹿みたいにとりみだして。



利己的で。うそつきで。卑怯で。ずるくて。勝手で。


弱くて。臆病で。自分の保身だけを考えて。 ・・・都合のいいときだけ女になって!


あたしに、ヤスノリを批判する資格はない。



あたしは――




あたしは・・・。



あたしは、ただ――――――。




ついに立ち止まり、怒りをこめて川を見下ろす。






――――ただ、あいつの顔を・・・「みたかっただけ」、なんじゃないのか?






わかっていた。



高徳井安則。

頼りにならない、うそつき男。


来なくていいときばっかりあらわれて、いて欲しいときには絶対にいない男。




誰もいない橋の上で、あたしは盛大なくしゃみをした。







・・・風邪、ひいちゃったみたい。



<続く>

第5話に戻る> <目次


*ご訪問ありがとうございました。*
第7話 「蛙王(4)」 は11月13日公開の予定です。
蛙王(4)


テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

蛙王(2)

今日もどこかでキシンの家が絶えるだろう。

キシンの技は一子相伝。時代におくれ、淘汰されれば消えゆくのみだ。


だが枯れ葉がおちて芽吹くように。

あらたな「鬼の子」は誕生する。


彼らはごく自然にキシンの技をつかう。あるいは独学をはじめる。

まるで何者かに導かれるかのように深く、遠く、わけ入って行く。


そしてある日突然、自分がしていることの意味を――自分が何者なのかを知る。


キシンは、望まれて生まれてくるのだ。





この世のあらゆる存在は、心(シン)・魂(コン)・魄(ハク)にわけられる。


ハクは、かたち。

怨嗟と安定。呪いと祝い。天地わかれて時をうみ、対立矛盾をもたらすもの。



コンは、いのち。

陰きわまって陽となり、陽きわまって陰となる。地を孕ませる天の稲妻。求め、あたえ、循環するもの。



シンは、こころ。

因縁正起が綾なす頂点。内にも外にも見つからず、ソトにもウチにも実感するもの。


シン。心。真。芯。神。信。審。深。森。新。進。震・・・・・・。


追えば無数の顔を持ち、眼をそむければ収束する。




神代より、「キシン」と呼ばれるものたちがいた。



さ迷う魂魄のシンを起(き)し、戸惑う魂魄のシンを帰(き)す。


世界のへりを逍遥し、ただよう魂魄をすくいとる。おち逝く前に連れ戻す。



それが、キシン。



だから――――アマツモリからこの宇宙を起したのは鬼神なのだ、と堂里は伝える。



現代では、そんな神話を真面目に信じているものはいない。


かつてキシンが担った仕事のほとんどは、科学や医学が引きついだ。

より高度に、よりただしく――より詳細に。



霊、占い、幻視、無意識・・・


いまやキシンはオカルトとなった。

たしかにそこにあるのだが、誰もが出会うわけではない、世界の影との交渉者。


健全で幸福な人間は近づかない。かかわらない。興味をもつ必要がない。



それでもキシンを求めるひとは、いる。

増えはしないが減りもしない。決して絶えることがない。



つまりこの世は破れてるのだ。誰かが、わりを食わねばならない。

誰かが、つくろってやらなければならないのだ。


そこにあたしの誇りがある。


これがあたしの選択。 あたしの仕事。



あたしの、日常――――











外に出ると、あたりはすっかり日が暮れていた。

逢魔が時である。


丸安百貨店の存する鳶山橋商店街は、もとは遷都計画の一端としてつくられた公営市場のひとつである。


ああだこうだで遷都が中止になって、定都大の医学部が近くにあるうちは客足もあったが、キャンパス移転ですっかり遠のいたとかなんとか、ヤスノリが言っていたような・・・どうだったっけ?



とにかく、アーケード内はシャッターを下ろしてしまっている商店がめだつ。

閑古鳥である。


まばらな人影をのせた路面電車がゆっくりと角を曲って行く。

その向こうに見えるオフィス街が夕闇に明るく、別世界のように浮かんでいた。


人ごみが苦手なあたしはこの景色がすきだ。落ち着く。



幡多川の流れを聞きながら鳶山橋の中ほどまで来たあたしは、ふとふりかえってアーケード入り口の電線を見あげた。


まっ黒い鳥がとまっている。


あたしがじっと見つめると、カラスはぷいと横を向いた。


いや、ちがう。


――片目で、こちらを見返しているんだ。


あたしは思わず微笑む。


そばを通りかかったカップルが不思議そうにあたしと電線を交互に見た。

顔をねじまげてうかがう男の腕を、女がひっぱるようにして通り過ぎる。


電線にはもう、何もいなかった。


あたしは、ふたたび歩きだす。


だんだん速度をおとし、もう少しで橋を渡り終えようとするところで歩くのを止めた。


欄干に寄りかかり、うす闇ただよう川面を眺めおろす。


11月も半ばになったばかりだが、今年はすでに初雪が舞った。

鼻の頭が冷たい。吸い込む夕暮れの川風には、冬の厳しさがしのびいっている。



・・・おじいちゃんもキシンだったのか。



ぷんすかしながら丸安に乗り込んだあたしだったが、出てきた今はしょんぼりしていた。


ウチの家系で、キシンはあたしひとりだとずっと思っていた。


祖父はあたしが一歳になる前に死んだ。だからあたしには祖父の記憶がない――残ってない、と思う。


小津乃正治はいったいどういう経緯でボールを手に入れたのか。初枝夫人の日記の写しにも、そこまでは書かれていなかった。


六月二日、明方ヨリ雨。深夜、小津乃正治ヨリ『金ノ鞠』届ク。鞠ハ『蛙』ノ求ムル物ナレバ重々注意セヨトノ事。 ゴ無事ヲ、祈ル。

――――帰神ナレバ其ノ居所、容易ニ摑マセズ



初枝夫人が正治を捜し、その身を案じていたと読める記述である。

つかませず、ってどういうことなんだろう?



50年前に、妻の身辺に不審を覚えていた男は、日記に別の意味を見出したようだ。


ヤスノリが明かしたところによると、箕面庄蔵は義理の甥が手配師だったからではなく、そこに「小津乃」がいたから――あたしがキシンだったから、丸安に依頼をだしたらしい。


箕面庄蔵は言外に、あたしを抹殺する意思をはっきり示したという。


・・・もしあたしが死にたくないのなら、「金のまり」をあるべき場所に返し、首なし騎士を倒すしかない、ということも。



いわゆる「宮さま」から経済人に転向した箕面家は、水面下でさまざまな思想団体や圧力団体とのつながりがある。小娘ひとり、誰にも知られず始末するのは朝飯前だ。

ヤスノリもいろいろ抜け道を考えたようだが、選択する余地は最初からなかった。


あたしは「カエル」と戦わなければならない。


ボールを返そうと返すまいと、そもそもの発端となった「小津乃」を差し出すことでしか、首なし騎士を鎮めることはできない――――それが箕面庄蔵の言い分らしい。


どうしてそう確信するのか。具体的な理由を箕面はあかしていない。

しかし間違いなく、あたしと騎士とは見えない糸でつながっている。今ではあたしもそう感じることができる。


まったく、肝を冷やしましたよ――そういいながらもヤスノリは胸をはっていた。


「・・・しかし、三月の期限は半年に伸ばしてもらいました。

それからライカさんが騎士を討ち取った場合、今後一切お構いなしとの確約も取りつけてきました」


当面の役に立たない譲歩を引き出せただけだ・・・

自分でも意地がわるいと思うが、この状況ではついそう考えたくなる。



それよりなぜだろう。


どうしてかあたしは、箕面庄蔵の殺意のかげに――――なんていうか・・・・ゆがんだ愛情めいたものを――――感じてしまうのだ。


庄蔵は、何かの感情を訴えている。

それは、深い孤独・・・哀しみのような?


うまく、名付けられない。



ヤスノリに話を聞いた直後から、あたしは見えない薄紙のようなものが、はらりはらりと自分に投げかけられているのを感じるようになった。

あるいは――蜘蛛の糸。


ひとつひとつはかすかだが、降り積もると思わぬ重さでまとわりついてくる。


あたしは、全身をなでまわすような呪縛をちぎりとる。

見えない糸束の先にいるのは、あの首なし騎士なのか・・・いや、庄蔵だな。



――――ぬくもりが、ほしいの?


死骸にむらがる鳥のように、キシンはさまよう魂魄をさぐりあてる。

ひきよせられてゆく。



――なんてこった。



とまどい、反撥しながら、あたしはもうこの事件を「つくろい」はじめている。



映り灯が徐々にめだち始めた川面を見下ろしながら、つめたい風を吸いこんだ。



十五で家を飛び出して二年と半。都会暮らしにもようやく慣れた。

定都(じょうと)の住人は、他人に必要以上の関心をもたない。寂しいときもあるけれど、あたしには水があう。


この街では助けをもとめ、声をあげても誰もふり向かない。

そのかわり、人と違うといってとがめるものもいない。


たとえ野たれ死にしようと、あたしはここで生きてゆくんだ――――



・・・なーんて粋がって出てきた街だけど。


今日何度目かの深いため息を吐いた。これじゃホントに野たれ死にだよ。



銀行融資の停止、手配師組合からの追放――箕面庄蔵は丸安にも圧力をかけてきたという。

あのヤスノリが言いぬけるどころかぐうの音も出なかったらしい。まあ、あいつは日ごろの言動が「アレ」だから・・・。

叩けばほこりが舞い上がる、どころじゃなかったんだろう。 ちょっと同情する。



それにしても。


あたしの思考はふたたび箕面の周辺をまわりはじめる。


甥に圧力をかけてまであたしを死に追いやろうとする庄蔵の妄執は、いったいどこからくるのか。


そもそも、「痴情のもつれ」である。

しかも、三角関係の相手は女も含め、すでにこの世にいないのだ。



――なんであたしなんだろ?


会ったこともないじいさまに、祖父に遺恨があるので死んでもらいます、といわれてもなあ・・・。

しかも同時に求められてもいるらしい。矛盾もいいとこだ。


ずいぶん気に入られたものだが、あたしのほうじゃ、名前すら印象に残らなかったのだ。

まるで、わざと忘れたみたいに。

眼を、そらせていたみたいに。



いや、まてよ。


なんか――――って感じもするけど?


なんか、のあとに思いついたことばをその場で打ち消す。・・・いくらなんでも、それはないだろうな。



ヤスノリは、トミタ専務に箕面の内情を洗わせているところだと言っていた。


あたしは小柄で丸顔の、人の良さそうなトミタ専務を思い浮かべる。

専務としては虎の尾を踏む思いだろう。行き届いたひとだが荒事むきではない。


「失せ物さがし」の名人なのです――――


むかしヤスノリがそう言っていたけど、今回のは失せ物とは違うし・・・。


それでも、どこかに「穴」を見つけねば早晩そろって窮地に追い込まれる―――期待してますよ、専務。

あたしは思わず橋の上で手をあわせる。


帰宅途中のサラリーマンがはっとこちらを見る気配・・・いかん、また誤解をまねくふるまいをしてしまった。


もちろん、あたし自身も動くつもりだ。箕面に監視されてるだろうから、たいしたことはできないけれど。



・・・あ、そうだ、水台先生に連絡しなくっちゃ。


もう、おそいか。

腕時計を見ると17時30分を少しまわるところだった。


南部行き最終電車が出たころだ。

先生はいつものように腕組みをして、しかめつらで寝ようとがんばっているところだろう。


先生が実家にもどってしまう前にたずねたいことがあったのだが、ヤスノリのところで思わず手間どってしまった。


急にむずむずっときて、あたしはくしゃみをする。


冷えてきた。遠くの川面はすでに黒い。

南にかかる恵比寿橋のむこうに、繁華街のネオンがきれいに映っている。



結局、丸安で神器はもらえなかった。


「・・・どういうわけか剣だけが、出回ってないのです」

しつこく請求をくりかえすと、ヤスノリはしぶしぶそう白状した。


「鏡や珠は、いつもどおりの流通量なんですけどね」

「そんなことってあるの?」

「うーん・・・ま、いまは一から鍛えさせることも考えています」


それでは期限に間に合わない。とはいえ、騎士と戦うのになまくらでは心許ない。


首なし騎士対策、箕面の尻尾さがしに加え、神器さがしもしなくてはならなくなった。


しかし、剣が見つかったとしても、丸安を通さないなら自腹を切ることになる。そうなったら、定期をくずさないといけない。

ちなみにギャラは1万7千円プラスあたしの生命・・・まったく、今回の事件はふんだりけったりだ。


ん?まてよ、ヤスノリが箕面にこっそり追加料金を請求しているかもしれないぞ。


うん、おおいに、ありうる。あとでオオシタさんに確認してみよう。



――――それにしてもヤスノリ。



なんかヘンだったな、あいつ。


あたしは、墨色の濃くなった空を見上げた。

端をななめに切り取る電線に、カラスはみあたらない。



何食わぬ顔であたしをセメント工場に向かわせたけど――――



もしかするとあいつ自身は、事の成り行きをかなり気にしていたんじゃないだろうか?


それならミカさんやヨージ君の不自然な態度にも説明がつく。

ヘタな芝居をしていたけれど、ふたりともトミタ専務が何をしに行ったのか知ってたみたいだったし。


ミカさんが、あたしの剣を気にしたことなんて今まで一度もない。彼女にとって、竹刀袋はキシンのマークにすぎない。

ピヨコは・・・もしかしてヨージ君なりの気遣いだったのかな?


ヤスノリって、いつも自分の世界にいるように見えるけど、ヨージ君とはいろいろ話したりするんだろうか。・・・ミカさんとも。



あーあ!


考えるだけくだらない。ヤスノリのやることってホントわからない。


ヘンだよ、あいつ。


わざと話をこんぐらがらせて。


おじいちゃんのことをあたしから隠そうとして。

隠してどうにかなるものでもあるまいに。自分の尻にも火がついているのに。


まったくもう・・・

殺されそうだから一緒に戦おうって、ストレートに言えばいいのに。




――――何もかもライカさんを大事に思えばこそ、の選択ですよ――――




おもいがけない大きさで、ヤスノリの声がよみがえった。

まぼろしの「糸」をかいくぐって、また別の感触が舞い降りてくる。


あたしは電線のすきまをにらんだ。



・・・冗談じゃない!


落ちてくるほのかな感触をはらいのける。


大きなお世話だ。それって、活かすも殺すもあんた次第ってことじゃない。

わかってる。あんたはただ、「トロフィー」が欲しいだけなんだ。


あたしは、何度もあたしをつつもうとする優しい感触をつきはなす。


あんたには「まだ」、あたしは要らないでしょう?


与えるふりして求める男に、あたしは応えるつもりはない。そりゃ・・・


そりゃ、さすがに・・・



今回は、ちょっとだけ困ってるけど――――。






そんな取りとめもないもの思いにふけっていたから、隙があったのだろう。





異様な気配に、あたしは欄干からはっと身を起しかけた。

絶え間なく吹いているはずの川風が、ぴたり、止んでいる。



これは――――。


どこからか、まるで石鹸の香料のような薬くさい匂い。

橋をおおうあまったるい香りに包まれて、あたしは眼を川面から中空に泳がせた。



宵闇に、いつのまにか重苦しい白いもやがかかっていて数メートル先が見渡せない。




そして、音――――。



カッ、ダンダンダンダンダンダンダン、ッダーンッダーンダン!
   カッ、ダンダンダンダンダンダンダン、ッダーンッダーンダン!


どこか遠くから、非現実的な和太鼓の轟きが、幾重にも折り重なってきこえてくる。



音は次第に大きくなり、あたりの空気をビリビリと、あたしを、橋を振動させはじめた。


ダッダーンッダーンダン! ダッダーンッダーンダン!
     ダッダーンッダーンダン! ダッダーンッダーンダン!


ジョワジョワという奇妙なささやき声が、上から、下から、背後から・・・四方八方から近づいてきては遠ざかる。


「・・・す、のなのもとに」

「えっ?」


ふいに耳元で語りかける声にあたしはびくっとふり返る。


「――ノ、ナノモトニ」

「ナノモトニ!」

「ナノモトニイィ!!」



複数の男女の唱和。

エイメン(かくあれかし)




ヒャッハッハッハッハァ!!




背後をさっと走り抜ける何かの影。


ギャギギギギギギギギギギギギギィイイイィイイ!ギャギギギギギギギギギギギギギィイイイィイイ!



軋む音は脳髄を直撃し、映像の群れが、カレイドスコープのように展開する。


吠える虎。コートをまとう赤毛の青年。

女の悲鳴。男の怒号。憂いを含んだ白い横顔。


これは、どこ・・・このひとたちは――――いったい、何をしているの?


折れる剣。宙を舞う小鬼。吹雪の中を飛ぶ白鳥。

黒い牛の頭。炎の瞳をしたアルビノの少女。



過去が、未来が――――



天が裂け、なだれ落ちてくるイメージの奔流があたしを貫き、きりきり舞って虚空へとちぎれとんでゆく。



ギャギギギギギギギギギギギギギィイイイィイイ!ギャギギギギギギギギギギギギギィイイイィイイ!



甘い香りをおしのけて、吐き気をもよおす腐臭が立ちこみはじめる。


あたしは欄干から手をはなして後ずさった。



ぬるり――――。



足もとをみると、橋の表面にふつふつねばつく緑色のヘドロがにじみ出ている。

強烈な臭気に、あたしはえずいた。


景色がぐんぐん変わってゆく。

ネガがポジに流入し、ウラがオモテに引き剥がされる。


右が左に、ひだりがみぎに、何もかもが色彩をうしない、かたちなくただよって・・・ただ、どろどろとした非存在へと溶けくずれてゆく。


あたしはまたえずき、現実を求めて手探りする。

だが同時に、どこかで無駄だと悟っていた――――この「変化」は止められない。


知っている。あたしは、知っている。この現象を、知っている。まえにも・・・見たことがある・・・。




カラスがないたら気をつけろ――――――

あれは、おまえの守り神だ・・・・・・忘れるな、
ライカ!



誰――――?

涙でにじんでよく見えない。



武器、武器が欲しい――――なんでもいいから・・・!

あたしは虚しく全身をさぐり、うろたえて恐怖に震え上がった。



アマツモリだ―――アマツモリが来ている!



異形の宇宙が、世界の裂け目をこじあけている。

胎内に侵入してむさぼり喰らおうと、身を、よじっているのだ。




ふっちゅ!



死にかけの虫が撥ねるように、ヘドロが細長く孤を描いて舞う。



ふっちゅ!

ふっちゅ!ふちゅ!ふちゅ!


ふちゅちゅ!


ふちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅ!



緑の飛沫が、足元を飛び交う。 悪臭をはなつ蝗の群れ。

ヘドロの蝗は火のようにすばやく渦をまき、あたしをとり囲んで退路を断った。



ギャギギギギギギギギギギギギギィイイイィイイ!ギャギギギギギギギギギギギギギィイイイィイイ!



音は耳を聾するばかりになり、緑の壁が次第にせりあがってゆく。

猛烈な死臭であたしを押し包み、筒状に天たかくのび上がる。


いま、その上部が閉じられようとしていた。

あたしはなす術もなく眼をみひらいてながめるしかない。



ふいに。




一切の音が消えた。




温度も。




・・・においも。

距離も。時も。 世界のあらゆる感覚が――――消えた。



頭からすっぽりと袋をかぶせられてしまったかのような、薄闇と静寂。











――――――ピシャーンンン・・・ンン・・・・・・・ン。









両手で口を押さえたあたしは。



ゆっくりと、川を見下ろして――――







そこで見たものに、耐え切れず絶叫した。




<続く>


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蛙王(1)





むかし、あるところにたいそう美しいお姫様がいらっしゃいました。


お姫様はいつもひとりで、お城の池のそばに行っては、金のまりで遊んでおりました。



そんなある日、お姫様はまりを受けそこね、池の中に落としてしまったのです。


困り果てたお姫様が、池のほとりで泣いていると、一匹のカエルが出てきてこういいました。



「あなたのまりをとって来てあげましょう。そのかわり、僕と結婚してくれませんか」



お姫様は、ぬめぬめした肌のカエルをとても気持ち悪いと思いましたが、まりが惜しかったのでつい「いいわ」と約束してしまいました。



するとカエルは――――――





「・・・カエルは?」

「諸説あります」  と、ヤスノリ。



それで現実にもどされた。すっかり話にひきこまれてたよ。こいつ、やっぱり語らせると危ない。


「ハッピーエンド、バッドエンド、シュールなものや堂々めぐりをするもの、さまざまです」

「シュールなオチのがききたい」

「脱線してますよライカさん。これは落語じゃないんです。子どもむけの、おとぎ話」


・・・脱線って、あんたの話はそればっかりじゃん。


あたしはムっとする。

それにここへはおとぎ話を聞きにきたんじゃないし。もともとあたしは・・・ええと・・・いいや、もう。


ヤスノリは、あたしの不機嫌など気にしない。


「この話は、結末にたいした意味はありません。

今回重要なのは、いまの前半部分――――カエルが、お姫様との結婚を条件に『金のまり』を拾いに行く、というくだりなんです」


ぽん、とヤスノリが金色のボールを投げてよこした。あたしは両手で受け止め、その意外な重さに驚く。


「おもっ!」

「何かが入っているようです」


ボールを振ってみた。ころころ。たしかに、何かちいさなものが転がる音がする。

軽く投げ上げて、キャッチ。

何の音もしない。もう一度振ってみる。ころころ・・・。



どういう構造なんだろう?



音の感触からして、重いのは中身ではなくボールそのものである。

見た目も手触りもゴムボールそっくりだが、そう――たとえば金属球の表面をシリコンか何かで被ったような・・・。


あたしは爪先で軽く、ボールを弾いてみた。


チーン――――


クリスタルガラスを打ちあわせたような澄んだ音色。



いっそう訳がわからなくなった。



「何なの、これ?」

「つぶしてごらんなさい」

ヤスノリに言われるままに、ボールを包む両手に力を入れる。


「あっ!」


あろうことか、ボールは何の抵抗もなく粘土細工のように変形してしまったのである。

あたしはあせってせんべいのようになってしまったボールを振ってみた。

ころころ。・・・やっぱり音がする。



「大きさも変わりますよ」

それには気付いていた。ぺしゃんこにした時点で、ボールはひとまわり小さくなっていたのだ。


折りたたんでつぶし、指先で丸めると、金色のボールはビー玉くらいのサイズになってしまった。

もちろん、振れば音がする。それに、何だか前より重くなったような気も・・・。



「重さの変化は錯覚です。変わるのは見た目だけ。

他の性質はいっさい変わりません――――切ることも、割ることもできないのです」


つまり中身は不明、ということか。



「・・・何なのこれ」


あたしは同じセリフをくりかえした。



「さて―――まず、この世のものではないでしょうね」

ヤスノリは、答える。



「・・・てか、引き出しに入ってたし!」

「とくに害はないです」


あたしは手の中のボールに目をもどした。あれから1分も立っていないが、いつの間にかもとの大きさに戻っている。



「そのボールはね、今回のクライアントから預かったものなんです」

「ええっと・・・」

「箕面庄蔵(みのお しょうぞう)さん」

「そう、それ!・・・ミノオって、なんか宮さまみたいな苗字してるよね?」


ヤスノリはけげんな顔をした。



「『もと宮様』ですね。曽祖父の代に受理されて、籍を抜けています。」

「宮さまって退職できるんだ?!」

「退職できますよ。しかし、こんにち『箕面庄蔵』といえば経済界の重鎮としてあまりにも有名・・・本当に、ご存知なかったのですか?」


「ご存知なかった」

だってそんなひと、あたしには関係ないもーん。



「ではこの機会に覚えておきましょう。昨夜あなたが戦った場所は、かつての箕面セメントの工場です」

「セメント?・・・コンクリートとかの?」

「そうです。箕面セメントは国内シェアの40%近くを占める首位会社ですよ」


そういえば「箕面セメント」と書かれた黄色いミキサー車が走っているのをみたことがあるような・・・気がしないでもない。



「丸安よりずっと立派だね」

「除霊はウチで独占しています」


ああいえばこういう。・・・ま、いいけど!



「――――で、そのジューチンとこのボールと、あの首無し騎士とがどう関係してくるわけ?」

「ですから、それらを結び付けるのが、『かえるの王子』なんです」








・・・はイ?








あたしは、ボールを手にしたまま固まった。思わず、「イ」が高くなる。

そんなあたしに少しも動じず、ヤスノリは辛抱づよく、くりかえす。



「ですから、そのボールが、」

「はい」

「物語に登場する『金のまり』なのだと――――」

「・・・・・・」

「箕面さんが、そうおっしゃっているんです」

「・・・・・・おっしゃってる」


つまり。


「ボケ――」

「いいえ。お歳こそ80をこえられていますが、箕面さんは頭脳明晰な方です」


――とてもそうとは思えない!



「・・・まあ確かに、いささか頑迷なところもお持ちではありますがね」


弁護になっていないような弁護をしつつ、ヤスノリが戻ってきた。

あたしからボールを受けとると、胸元にささげもつ。



「この不思議なボールが箕面家にもたらされたのは、じつは昨日今日の話ではありません」


そう言って手首をひねり、金のボールをくるりとまわした。ボールの表面で天井がまわり、その下に小さく、あたしがいる。



「・・・これは、少なくとも50年前にはこの世に存在していて、そして封印されていました。

ある書物の中に――――こんなふうにね」


パン、と手をうちあわせ、ふたたびボールをつぶしてみせる。



「書物は工場内に分霊された熊野神社に奉納されていました・・・もちろん、書物の持ち主がそうしたのです」


あたしはああ、といい、ヤスノリがそうです、とうなずいた。



「あなたが罠を張った、神社跡です。調査報告書には神社の撤去と書かせましたが、本当の原因は・・・たぶん、このボールでしょう。

まあ、いずれにせよ、現段階では大差ありません」

かもしれないが、ヤスノリが断言するとすっごい怪しい。



「書物は解体神事の下準備で見つかりました。
・・・そしてボールは『発見』され――怪異がはじまった」



――首無し騎士。

最初は、ただ音が走り回っているだけの怪異だったらしい。

やがて、騎馬の黒い人影が目撃されるようになり、気味悪がった近隣の住民たちが騒ぐようになった。

土地を売却する予定だった箕面セメントは困惑し、事態を内密に解決するよう、箕面庄蔵を通してヤスノリに依頼してきたのである。

しかしこの男、ジューチンにまで知り合いがいたんだな・・・。



そこへヨージ君がお茶をはこんできた。



「どうぞ」


危なっかしい手つきであたしの正面に置かれたお盆には、二つの茶碗のほかに茶菓子とおもわれる六角形の紙箱も載っている。中身を出す、という発想はなかったらしい。

あたしはお盆を凝視する・・・これはもしかして、あたしに配れということなのかしら?



やあ、ありがとう――――こういうことには察しのよいヤスノリが、ボールを小脇にはさんでお盆をひきよせた。箱の黄色いふたをとる。


「もらいもので――はじめて食べたのですが意外にいけますね、これ」

「なに・・・」

いやわかってるんだけど。いちおう。


「銘菓『ピヨコ饅頭』です。おひとついかが?」

「いらない」


あたしは色の薄い、いかにもぬるそうなお茶を横目でみながら断った。・・・このすれっ枯らしが大の甘党だなんて、世の中どうかしている。


腕を後ろ手に組んだヨージ君は、足を肩幅にひらき、皮ジャンの胸を張って直立していた。
あんたは、もう、いいんじゃない?



「ヨージ君、キミは食べるかい?」

「いただきます」 うやうやしく差し出される両手。


帰っていった。




さて、先ほどの話ですが――――激まずな感じの茶を手早くふたりの前におき、ヤスノリは語りつづける。本人はピヨコを食べるのをあきらめたらしい。



「ボールを封印していた書物には『かえるの王子』の物語とボールとの関連がほのめかされていたのです。つまり――――
このボールが『金のまり』であり、そして『蛙』が探している、というような内容です」


ふーん・・・なるほど。



「なんとなく、わかってきた。」

あたしは話をさえぎった。


「首なし騎士が、『金のまり』をさがしに来た『カエル』だって、・・・そういいたいんでしょ?」

「少なくとも、箕面さんはそう解釈しているようですね」

「でもさ――」


あたしは首をひねる。



「・・・そもそもカエルは死を予言しないよね?」

むしろ多産と水――生命の象徴だ。



「物語は暗喩なんです。必ずしも蛙である必要はありません」

ヤスノリは箕面の肩をもつ。



「それを言うなら、このボールは『金のまり』以上の存在です」

「それはそうだけど・・・」


うーん。



「――――騎士はカエルのバージョンアップだというわけ?」


「そこ、なんです」 と、ヤスノリ。


考え込むようにややうつむけた顔のわきに、ぴんと人差し指を立てる。

なにやらこだわりがあるらしい。



「デュラハンも夜行さんも、本来プリミティブな精霊の類なのです。死の予言は死ぬべくして死ぬひとに対して行われるものであり――――」


そのまま眼だけを動かして上目遣いにあたしを見る。



「・・・こちらに斬りかけてきたり、剣を折ったりするようなことはしない、はずなのですよ」

「ええっ?!」



――なら無害だし。


あたしは粉々になった鞘をみおろす。・・・すごいギャップだし。



「じゃあ――あの騎士はいったいなんなの?」

「だから『蛙』なのでしょう」


笑わない眼のままヤスノリは言った。



「おそらく、デュラハンよりもずっと危険な存在だ、ということです。・・・あの世のものでもこの世のものでもない――――」



逸脱した存在。





アマツモリからの訪問者。





――――なら、無理だ。


あたしは、思った。

もしあれがそうなら、とてもあたしの手には負えない。


キシンはみな、死者の国はこの世の延長にあると考えている。だからあの世のものにも対処のしようがあるのだ。


渡し箸、左前、冥銭、経帷子――――さまよえる魂魄は生者の隣人である。どんなに奇妙な外見をしていても、あの世の理屈はこの世の理屈が基準になっている。

しかしアマツモリには、その前提となる理屈が「まったく」存在しない。


シン・コン・ハクが混然とわかちがたい、王家の専門領域だ。




「――――あいつに、そのボールを返してやっちゃダメなの?」


あたしは一番気になるところを聞いてみた。


騎士がほんとうに「カエル」なら、目的は当然ボールのはずだ。わざわざキシンなど呼ばなくても、それで怪異はおさまるではないか。



「ああ、それなんですが――」


思い出した、という感じでヤスノリは言った。



「ボールは返してやってもいいのです。いや、できれば返すように、と指示されました。

・・・今回返さず保留にしたのは、ボクの一存によるものなんですよ



それはまた意外な。



な・・・



「――――なんでよっっ!!」



がたたっ!突然の大声に、パーテーションの向こうでヨージ君が身じろぎする音。


あたしはヤスノリに顔をちかづけた。


「なんでよ!!返しちゃえば万事解決なのに、なんでそんな勝手なマネをするの!あんた・・・あたしを殺す気なの?!アホなの??


パーテーションの向こうに聞こえないよう、小声でなじる。またヨージ君に変なうわさを広められてはたまらない。

あたしには、いやなおもいでがあるのだ。いまでさえ、ミカさんにはすごーく気をつかっている・・・オオシタさんにもからかわれてるし。


「ひどいことをいうなあ・・・何もかも、ライカさんを大事に思えばこそ、の選択ですよ?」


ヤスノリは声を低めない。そこ、強調するな!



意味わかんないし!・・・ていうか、なに考えてんの、あんた!」

「それはもう、いろいろと。そして、ボクらで『蛙』を退治するのがベスト、というのが結論です」

無理!


無理だ。

今度戦えばあたしはまちがいなく死ぬ。


アマツモリの生物であるということを除外しても、騎士には手の内を見られてしまっているし、なによりあの剣を折る攻撃への対処がわからない。

力とスピードで上まわり、リーチは長いし頭もまわる。最初の奇襲は効いたけど、もうあたしの剣技は通用しないと考えたほうがいい。



「どうしてもやり合えってのなら、コジロウをこっちにまわして!」

「そうですね。では彼にも話してみましょう」

「けどやらないからね!あたしは!」

「またそんな無茶をいう」

どっちが・・・!いいからそのボールよこしなさいよ!」

「これはダメです。少なくとも、いまは、まだ」


ヤスノリはすばやく立ち上がると、飛びつくあたしからボールを遠ざけた。くっそー!バスケットゴールみたいだ。



「だから、・・・なんでよ!」


あたしはさっとふりむいて睨みつける。ヨージ君がぱっとひっこむのが見えた。



「それはですね、これで何か好転する、という確信があるわけではないのですが・・・」


・・・いってみれば「保険」、みたいなものでしょうか――ヤスノリは答えた。



「保険ってなによ、どうせあんたが受取り人なんでしょう?!」

怒り狂うあたしにそんなへ理屈が通用すると思っているのかーー!


「いいえ。じつは返却方法に『条件』がつけられていたのです。それがどうにも腑に落ちなくて――
ちょっと返却を延期することにしました」


「条件・・・?」


ヤスノリの、その判断が正しかったことは、後日あきらかになる。




思わぬ返答に、あたしは少し冷静さをとりもどした。


「『腑に落ちない』って――――なにが?」



詐術師の腑に落ちない、ということは――――



そこに「詐術」があるということだろう。




「『 返却の場合は必ず、小津乃雷花(おづの らいか)の手でこれを行わせること 』」


ヤスノリは暗唱してみせた。



「――――それが箕面さんの出した、返却の『条件』です」



「はイ?!」



「・・・まあじっさい、現場にはとんでもない化け物が待ち構えていた、というわけですし」


これはいよいよ、ボールの出自に信憑性が増してきた、ということですねえ――――


他人事のように感心している・・・ちょっと、「あたしの危険」は「あんたの危険」じゃなかったんかい?!


いや、それより――――。



「なんで?どうしてジューチンがあたしの『名前』を知ってるわけ?」

「それもこのボールが関係しているのですよ。」


ヤスノリは中指でちょい、とメガネを押し上げた。油断なく、ボールはあたしから遠ざけたままだ。

そのまましばし、何事か考えているふうだったが、やがて肩をすくめるとこう言った。



「これはもう、仕方ないな。・・・それじゃ、『本当のこと』をお話しましょうか」



――――あんたってひとは!




こうなった以上、あなたも知っておくべきですしね――――憤然とするあたしをしりめに、ヤスノリはそう前置きをする。



「このボールは、最近発見されたものではありますが、箕面さんにとっては初枝さん――もう、30年以上前に亡くなった奥さん――の遺品、ということになります」


「うん」


「なぜなら、ボールを封印していた書物というのが、彼女の日記だったからです」


「へーえ」



って・・・




日記?

「『日記』、です」




ボール以上に難解な謎かけである。どうなってるんだ、この事件は?


お経とか魔術書とかじゃなくて・・・日記。


いったい、どういう仕掛けで?



「・・・それ、あんたも見たの?」

「もちろん読みましたよ」


当然だ、というふうにヤスノリは答えた。

聞いてるのはそういう意味じゃなかったのだが。それに「もちろん」、というのも少し違うような気が・・・。



「写しももらってます――これでもいちおう、親戚ですからね」

「・・・し、親戚ィ?


やっぱりそこも聞きたい。



「ええ。旧姓『土師初枝(はじ はつえ)』、ボクの母方の、叔母にあたる人です」


叔母――――。



「・・・まさか、それでこのヘンな事件を引き受けさせられたとか、いわないよね?」

「違いますよ。」

ヤスノリは即座に否定した。気のせいか、すこし怒ったようだ。


まあ、そうかもね。


ヤスノリが箕面庄蔵と縁戚関係にあったという事実はさておき、彼は自分の肉親に対して(というか誰に対しても)おそろしくドライな男のはずだ。


ましてや、会ったこともないであろう叔母のために、手駒を失うようなリスクを引き受けたりはしない。如才なく振舞ってはいるものの、ヤスノリの本質は筋金入りの利己主義者なのだ。


と、なると――――


あたしは、考える。


彼がこんな馬鹿げた依頼を受けるとすれば、よほど高額の報酬であるのか、あるいは箕面庄蔵になにか弱みをにぎられているのか・・・・・・



弱み――?



あたしはヤスノリの白面を見直す。



「そう。ライカさん――――あなたが関係者なんです」


あたしの考えを読み取ったようにヤスノリは告げた。



「初枝さんはこのボールを、ある人物からゆずり受けました。そのことは箕面さんにも秘密にしていたらしい」


「秘密――なんでまた・・・」

「さあ。なぜでしょうね。」


でも、箕面庄蔵のこだわりはなんとなく予想できるような気がした。

ヤスノリの叔母さんというのなら、たぶん――――美人だったんだろう。



「・・・ともあれ、彼女の日記には『かえるの王子』とともにその人物の『名前』が記されていたのです」


ヤスノリはその笑わない眼を、突然あたしからはずした。



「『オヅノ マサハル』――――当時、無名のキシンだったということです」




小津乃正治――――




あたしのおじいちゃんだ。




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プロローグ



刺すような秋空に、とり残された木守りの柿が、風に揺れている。



黒足袋に雪駄をはかせ、杖をつきながらゆっくりと築山を登ってきた男は、柿の木の根もとでようやく足をとめた。



ひいよ、ひいよ、ちーい・・・



とがめるように、遠くで野鳥が啼きかわしている。



男は懐紙を取りだして、そっと、額に浮いた汗を押さえた。

白い眉の上、尖った鼻の頭、ひりひりと熱い両頬、そして皺だらけの痩せて長い首――――



口を押さえると長い、執拗な咳をした。

肩を揺すり、痩せ細った体を震わせ、肺腑を絞りだすようにして喘ぐ。



やっとの想いで吐き出した痰には、鮮血が血管のように滲んでいた。



荒い息をつきながら、男はのろのろと紙をたたむ。

揺らぐ足を踏みしめて、来た道をふり返った。



熊野古道を模した石畳。
そこに詰まった石のそれぞれは、ひとつずつ選びぬいた石を拾わせてきたものだ。



その上に、杉の疎林をすかす白いひざしが虚ろにとびさしている。

まだらに、舞い跳ねている。





血の赤。





あの娘――――赤い髪をしていた。



そうだ、赤毛だ。

どうして今まで気づかなかったのだろう。あいつも赤毛だったではないか。




はやる動悸を鎮めようと、男は柿の木によりかかる。

黒染め作務衣の首筋を、茶っけた枯れ葉にはらはらと打たれて、彼はふと顔をあおのけた。



虎のような白い眉。削いだような頬と鋭い鉤鼻が、薄く赤い唇とともに、往時はさぞ男ぶりであったであろうことを偲ばせる。



だが、老人はいま死を見つめていた。手の届かない高みから、男を見下ろす熟した赤い実。



「・・・逃がさんぞ」



ふいに老人は口を開いた。



身内にふくれあがるどす黒い想念が、ついにその薄い唇を裂いてほとばしり出たかのような、くらい声音であった。



・・・逃がしはしない。



「名前」を知ったその日から、周到に罠を張ってきた。

退路をひとつずつ、丹念につぶしてきた。



俺を翻弄し続けた人生に、ようやく一矢、報いることができるのだ。






まるで「恋」だな――――男は落ち窪んだ目を細め、こけた皺だらけの頬をゆがめる。



・・・ああ、恋だ。これは恋にちがいない。



長く忘れていた感情のはなつ生臭い肌触りに、男は陶然と酔い痴れる。




むさぼるように、まさぐる。


おののきながら、なでさすっている。




誰にもわたさん。



おまえは、俺のものだ。





溜めに溜めたこの妄念・・・

すべて残らず、受け止めてもらうぞ。





ガア!



大音声に、男ははっと眼を見開く。





真っ黒な鳥が、柿の枝を横切って。



築山が見下ろす池の彼方――――瓦を連ねた白塀の向こうへと、飛び去るところだった。









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